プランターでホウレンソウを育てよう

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最近気づいたんです。

何でも書いてありそうなインターネットには、
…実は人間が作った情報しか存在しないことに。

でも、この地球のほとんどは人間「以外」です。地球の質量は5.9724×1024kgだそうですが、人間全ての質量(70kg * 76億)のだいたい10兆倍ぐらいあります。地球に比べたら、人間なんて、ほとんどチリです。チリ。仮にあなたが人間であるとしても、人間にばかり目を向け、人間の事ばかり考えるなんて、偏った思考にもほどがあると言ってよいのではないでしょうか。

というわけで(?)、さっそくですがプランターで野菜を育ててみることにします。同じ人間「以外」でも猫はダメだ。いいな?

育てる植物を決める→ホウレンソウ

思い立ったが吉日。しかしもう秋も中旬です。今から育てて収穫できる(あとわたしが好きな)野菜を探していくと、…ホウレンソウかなぁ。

11月上旬くらいまでは大丈夫らしい。失敗して発芽しなくても、チャンスはまだありそうです。…インターネット頼ってんじゃん。まぁまぁ。

プランターと土とタネ、あと道具を入手する

何は無くともプランターと土、タネ、そしていくつかの道具がなければどうしようもありません。

とりあえず以下のものを購入しました:

あれ…結局またネット頼りじゃねーか!まぁまぁ。近所にホームセンターもあって、ギリギリ徒歩でなんとか土を運べなくはない距離なのですが、ちょうどいい容量の土がなかったので頼ることに…。

あとは道具もいくつか調達しました。最初からたくさん買っても「必要性」みたいなのが実感できないかな、家にあるもので代用できないかな、と思って、最初はできる限り道具は買わずになんとかできないかという方針で行こうかなと。

  • スコップ
  • ペットボトル用の水差しキャップ(@100均)
  • 園芸シート(@100均; 地面のコンクリートを無駄に汚さないために必要)

土は捨てるのが大変

一応これは書いて置かないといけないことだと思うので書きます。

一般的な自治体では、土を捨てることができません。例えば、わたしの住んでいる埼玉県川口市のページはこちらに記載があります

ではどうするのかと言うと、専門の産廃処理業者や、植木業兼便利屋みたいな業者の人に頼むことになります(「住んでる地域 土 処分」とかでググってみてください)。ふつうの粗大ゴミよりお金が掛かりますし、大変です。そこは覚悟しなければなりません。ちなみに勝手に他人の敷地に捨てたりすると不法投棄ということになります。悲しい。

余談ですが、東京都で回収してくれるウィステリア・ガーデンというところは、住民からの問い合わせに「集められない」としか答えられないことにジレンマを感じていた行政の元職員の方が起業したらしい。

都市においてはプランターの土すら処分に困る」という事実は記憶しておきたいですね…うーん、世知辛い。

場所を選定する

日当たりの良さそうなちょうどいい場所を探します。

まぁ悪くないんとちゃう?

土を入れる

このプランターは下に石を敷いたりしなくてよい、メッシュがついてるタイプなので土を淡々と入れるだけです。まぁ始めなのでこの辺は頼ろうかなと…。

土も、本当は赤玉土に腐葉土やバーミキュライトとか色々配合して「作る」ものだそうなのですが、今回は最初からミックスされている「培養土」の力を借りることにしました。

…まぁ、最初だからさ。Hello world!出力するのに、ターミナルから自作するやつはいないでしょ?

37Lのプランターに25Lの土を入れたところ(足りない)、案外上のほうまで埋まったのでこれで良いかな〜と思ったのですが、あとで水をあげたら土がしぼんでだいぶかさが減ってしまいました…。

とはいえ、土を買うと余った土の保管も処分も大変そうなので、ためしにこれで栽培してみようかと思います。そう、結局問題は育ってくれるどうかなんですよね。

タネを植える

写真を撮り忘れた…というか手が土だらけなので撮れなかったのですが、タネは基本的には一直線に溝を掘って1cmおきに置いたのち、溝の土を崩して土の中に入ってもらいます。で、ちょっと手で押して踏み固める。

タネは100均で買ったのですが、緑色に彩色されていました。たぶん、間違えて落としたときにわかりやすくするためなんでしょうね。こういうのをいちいち発見するのが楽しい。

水をじゃばー

そしたら水をあげます。タネが流れないように慎重に…だけど適当にやってしまった。大丈夫かなぁ。

プランターの下から水が出てくるまで十分あげるのがコツらしいのですが、毎日そこまであげてしまって良いのだろうか…腐らない?わかんないことだらけ。

ペットボトルをじょうろにするキャップを100均で買って使ってみたのですが、このプランター(37L)にはあまりにも足りなさすぎる。もう少し大きなじょうろを導入しようかなと思います。

おしまい

タネが発芽するにはだいたい一週間掛かるそうな。…一週間経ってもダメなら再度チャレンジですかね。発芽してくれ、頼む。

次回までの宿題

  • 毎日の水のあげかたを調べる
  • 園芸シートの買い直し(もう少し大きいもの)
  • 間引きの仕方を調べる
  • 冬場プランターをどうすればよいのか調べる

こうして見ると、データセンターを開設したときのことを思い出します。理屈や皮算用だけではわからないことだらけで、でもたのしい。

 

「ガチャ」でいいじゃん

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もう分かんなくなっちゃったよ。

「いいね」の経済学で動くSNSとUGM。感想とキュレーションの循環参照。広告とマーケティングが支配する商業サイト。アイドルの焼き直しみたいなYoutuber。自前でコンテンツを用意してる検索エンジン。テレビの再放送みたいな番組を自前で作ってる元本屋・現なんでも屋。

…そして、無限のリコメンデーション。

わたしが1999年に、Googleの検索ボックスにキーワード入れて遊んでたころに夢みてた「集合知」とか、「インターネット」って、こういうものだったっけ?

うーん。でもちょっと待って。

そもそもGoogle、あるいはPageRankって、そこまで良いものだった?

美化された思い出に、過ぎないんじゃないの?

PageRankは「うまく動いてた気がする」

…ただしGoogleの中身について、誰も知らなかった時は。

つまり、Googleが登場した瞬間は、たしかにうまく動いていたような気がするのです。gooよりもGoogleがいい。なるほど、”gle”の部分が効いているんだね。そんなつまらんジョークを言っていたのは今でも覚えています。

しかし。

今思い返すと、「どう優れていたのか?」という質問に対して、具体的なエピソードで答えられないのも事実です。だから、「Googleが優れていたと思っていたのも、結局、『海外のなんか凄いテック企業、面接でヤバいこと聞くおもしろ会社』という幻影と神話に、化かされていただけでしょ?」といわれたら、言い返せない。

…そもそも「優れた検索結果」って何なんでしょう?

検索エンジンは、なぜ必要か?

そもそも論に立ち返りましょう。

検索エンジンは、なぜ生まれたのか。時計を巻き戻し、1999年へ戻るのです。

時は世紀末。「インターネット」というなんか新しいもんが出てきて。そこは「広大なネットの海」で、情報がたくさんあるけど玉石混交で、その中の有益な情報を見つけ出すぞ!というロマンに溢れておりました。

なるほど、有益な情報。…有益な情報って…何なんでしょう?

思い出して見ると、インターネットと図書館が対比されていたような気がします。「たくさん情報がある」という所からのすごく雑な類推ぐらいの意味でしかなかったのかなぁと今では思いますが。しかし、「図書館の代わり」を人々はなんとなく期待していたのは事実でしょう。

で、この「海」はあまりに膨大で、しかも本棚と違って、入り組んだグラフ構造になっていて、「ネットサーフィン」しているだけでは目的の情報(目的って何?)にたどり着けない。だから、検索エンジンってやつでなんとかするんだ!というのが、元々の「物語」でありました。

なぜ(山に登るのでなく)インターネットをするのか?

まぁ確かに、今日の天気や、今日行かないといけない場所や、ゴミの出し方、MySQLのマニュアルを調べるために数文字タイプすればいいのはすごい楽です。インターネットや検索エンジンは便利だなぁ。

しかし、それらを探すのに、PageRank…つまりページ同士の繋がりの情報はたぶん要らないんじゃないでしょうか。単に、転置インデックスとせいぜいTF-IDFとか使って中身だけを見ればわかるのでは。だって、namazuだって全然イケてるソフトウェアだったじゃないですか?

じゃあなんでTF-IDFとかだけではダメでPageRankみたいなアプローチが必要だと思われているのかといえば、…

それはたぶん、「SEO」があるからですよね。

SEO、体験の共有、共同幻想、目新しさ−
あるいは、テレビはなぜ代わり映えのしない濁流を映すのか?

Googleの結果はイケてたかどうかはともかく、イケてたと少なくとも私が思ってたのは事実です。そして、じゃあそこからどうなったかと思い出していくと、「SEO」が盛んになり、いたちごっこが始まりました。

「SEO」は、検索エンジンの結果の順位を、ページを作っている側が操作して「1位」になってやろうという行為です。

SEOがなんで行われるのかといえば。それは、みんな検索エンジンで読むページを探すから、ですよね。そこで目立って、人気のページになりたい。人気になるとなんで嬉しいのかといえば、サービスを使ってもらったり、読者になってもらって、もっと人気になって有名サイトになりたいから。

有名サイトであれば、その人気を、広告や影響力を通じてお金に変換できる。

そういう、「資本主義」の乾いた仕組みがあるからです。

だから、みんなが検索エンジンではなくSNSで情報を探したりするようになれば、SNSでバスる「フォトジェニック」とかのアプローチに変わる。スマホの「アプリ」をみんなが使い始めたら、スマホのランキングを操作しはじめる。それだけの話。

SEOも検索エンジンも、それ自体は、どうでもいいわけです。

そう。技術なんか、どうだっていいんです。「社会」で目立てりゃ、ウェブサイトでも、SNSでも、テレビでも、なんでもいい。

…というわけで、社会の話をしましょう。

この世はでっかいハンドスピナー

これは長くなるので今日は説明はしませんが、わたしの考えによると、社会1というのは大きな大きなみんなで回すハンドスピナー、あるいは盆踊りです。

みんなで一緒に同じことして、「いいね」と言い合ったり「ダメだ!」と断罪して喧嘩しあったり、そういうので一喜一憂してるとなんだか人生に「意味」がある気がしてきて、その「意味」に依存するのを「すがる」とか「大人になる」とか呼んでいる、と理解しています。(微妙にわたしの考えとは違いますが、「共同幻想」という言葉を当てた人もいます)

最近は「未知語」を検索する人が多くて、検索エンジンも未知語対策に重点を置いてるそうです。それも「社会は盆踊り」という標語の元ではすんなり理解できます。つまり、「社会の流行」です。盆踊りで皆と同じように踊ってないと「疎外感」を感じるように、同じ話題を追いかけたいのが人間、らしい。今あれが流行ってるらしい!って。何が流行っているかも、実はなんでもいい。フォトジェニックスイーツが流行ってるなら、その写真を上げて、いいねがもらいたい。流行ってる「猫の下着」の美少女イラストを描いて、いいねがもらいたい。流行ってるDeep Learningで研究して、いっぱい引用されたい。

ニュースと一緒ですよね。10年前の洪水の映像と、今日の洪水の映像、そんなに差はないけれど、今日というだけでなんとなく価値があって、世間話をするときのいいネタになる。そして、世間話ができると、人間は嬉しいらしい。

「夫 死んで欲しい」でサジェストされるのも似た話かもしれません。「共感」されたいのが人間、らしい。

で、人間ってのは社会性があって、偉いんだってさ。

無いと、病気なんだってさ。

ガチャ、あるいは「いいかげんインターネット」

わたしは、最終的にはインターネットっていうのは「己の心の中の世界を面白くしたりする」ためにあるんだ、となんとなく信じてたんだと思います。でも、どうやら、そうじゃなかったらしい。

でも。政治とか、ニュースとか、社交とか、人気とか承認とか、そういうのはもっともう、飽きてしまったのです。そういうのは、東大卒エリートで社会的地位のスペック競争に夢中な、インスタグラムに夢中な、「みんな」に任すわ…って感じ。心底うんざりしてるんです、もういいよ。

じゃあ、心の中に居場所を見出す「わたしたち」にはどんな物があったら面白いかな、と思って最近意識的にやってるのが「ガチャ」です。

検索エンジンなら、例えばあえてすでにしってるキーワードを入れて、なんか面白い結果が出ないかなと試して見たり。大半は失敗するのですが2、伝えやすい例としては、例えば「いいえ」って入れるとYahoo!が出てきて面白いとかですね。…伝わんないか。

あとは画像検索を使ったDeep Learning占いとか:

https://twitter.com/tikal/status/1030830995874803712
間違ってるような当たってるような
https://twitter.com/tikal/status/973443861904179200
これ結果が一定しないんですよ。何で決まってんだろ。

散歩とかと似てるかもしれません。いつも見てる風景なのに、今日はこんな発見があった!こんな見方もできるのかって。

季節の歯車:人間がコントロールできないもの

「見せる側」からの例をあげます。

わたしは友達と「妖精⊸ロケット」というサイトをやっていて、絵や写真、文章などを展示(?)しているのですが、このサイトでは意図的に作品をランダムに並べ替えて表示しています。ただし、完全にランダムではなくて、写真も絵も「時間」が付いていることを利用して、一年のうちの季節に応じて円周上に並べています(これを、「季節の歯車」や「季節のしずく」と呼んでいます)

hexe.net: 妖精⊸ロケット

何が出るかはランダムですし、「キーワード検索」もできません。あえてね。でも、不思議かな、これで十分な気がしてくるのです。行き詰まった時に開いて10年前の紫陽花の写真を眺めると、色々考えが湧いてきたり。それもそれでいいじゃん、となんとなく思うのです。

「ガチャ」、つまり乱数での「ランキング」は絶対に「SEO」できないランキングであることも指摘しておきたいです。じゃんけんでランダムに出すのが絶対に相手が自分より優位に立てない「最強」の戦略なのと似てますかね。

 

みなさんは、どう思いますか。わたしは手探り状態です。

あなたはどうして、インターネットをしていますか。

あーそういえば。このブログのタイトル下に出てくる文章もガチャなんですよ。これはもう始めて12年といったところでしょうか。

  1. 例:政治、経済、サッカーチーム、学校、学会、宗教、町内会、恋愛、家族制度、SNS []
  2. 「ガチャ」ですから []