SFとファンタジーの境界線 その2

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「メカっぽい」イメージによる区別

 友人に前回の記事を見せて,聞いて見ました.

 彼曰く,「やっぱりイメージの問題.自分の中ではメカっぽいのがSF」とのこと.

 ただし,この定義だと「アルジャーノンに花束を」はファンタジーになってしまうし,「魔法少女リリカルなのは」の魔法の杖はどう見ても機械にしか見えず,この定義だとSFになりかねない,という事を考えるとこの定義にも問題があります.

 なのはの場合は,あの杖の動力源は魔法のようなので「SFファンタジー」という事で丸く収まりそうですが,「アルジャーノンに花束を」は説明できません.

アルジャーノンに花束を

え?そもそも「アルジャーノンに花束を」はSFなのかって?

アルジャーノンに花束を(あるじゃーのんにはなたばを、Flowers for Algernon)は、アメリカ合衆国の作家ダニエル・キイスによるSF小説。

というのもあるし,

  • 1960年 ヒューゴー賞(中篇版)
  • 1966年 ネビュラ賞(長篇版)

という,SF小説のための文学賞を二つ受賞しているので,SF小説で間違いなさそうですよ.

 「ありえそう」か「ありえそうににない」というのも考えましたが,スターウォーズの科学技術はどうみてもありえそうにないですよね.魔法も同じくあり得そうに無い.

ああ,違いが分からない!

根本的には同じ?

 あっ!(ひらめいた)

 もしかして,魔法も空想の科学技術も根本的には同じなんじゃないだろうか.同じ架空の現象等に対して魔法として片付けるか,科学の対象として片付けるか.でも,やっていることは同じに見えます.物語内では架空の科学技術はもちろん体系化されて研究されているはずですし,魔法だって体系化されて同じように研究されているはずです.じゃないと,使いこなせませんからね.うーん・・・.

不可能性と可能性

調べて見たところ,こんなのがありました.

 これはインターネットによって行ったアンケートの中の「ファンタジーが成立する要素とは?」という設問に寄せられた回答である。

 一見して判る通り、非常に雑多な意見が出揃っている。しかし、その中でもやはり「非現実的な世界または現象」が登場することを、ファンタジーの要素として捉えている意見が多数派のようである。

どうでしょう?「タケコプター」ならちょっと分かりますが,「どこでもドア」とか「タイムマシン」とかかなり非現実的ですよね.スターウォーズのミレニアムファルコン号もどう考えても非現実的だし,デススターもいろいろな意味であり得ない(w.

『魔法の国ザンス』シリーズなどを手がけている、アメリカの人気作家ピアズ・アンソニイは、ジャンル的に極めて近いファンタジーとSFとを区別するために「SFは可能性の文学であり、ファンタジイは不可能性の文学である。(*1)」と定義している。これは「将来、実現の可能性が残されているかどうか」という風に言い換えてもいい。

そうか,そう来たか.「2001年宇宙の旅」とかの,あくまで現状の科学理論の延長線上に存在するハードSFならこれでいいかも.

 でも今私が考えているのは,「理論上ありえない未知の力・現象を扱う」SF.つまりはソフトSF,ミレニアムファルコン号やらタイムマシンやらに関しては,

(中にはタイムマシンや平行世界(パラレル・ワールド)などの、理論上存在が不可能とされているものや、実際に観測して存在を確かめることが出来ないものもあるが、これは例外としておく)

やっぱりうまく区別できねぇ(‘A`)

今のところの整理

  • イメージで区別する事は例外が多すぎて不可能
  • 「不可能性と可能性」による区別で,ハードSFとファンタジーの区別は可能
    しかし,ソフトSFとファンタジーの区別は無理
  • もしかして同じ現象に対して「魔法」で片付けるか「科学現象」で片付けるかという違いだけか?

だれか~教えて~_| ̄|○


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