何もかもがインチキだらけの「誰でも(お金があれば)『魔法使い』になれる」観光島、見えるすべてが胡散臭い、「夢と現の汽水域」。その名は、ホレンテ島。
…しかし、どうやら不思議な力は、本当に存在するらしい…。と、匂わせての二巻目、最終巻です。
二巻で終わる尺のせいかおかげか、次々に畳み込むように物語は進行していきます。
ぐんぐんと「魔法」の正体がキャラクターどうしの駆け引きの果てに明らかにされていき、これまたきれいに決めたジャンプのようにオチへと着地して、終劇!見事です。
久しぶりに、漫画を読んでいて息をのみました。
この展開やオチは一巻冒頭の残念魔法観光島漫画からは正直まったく想像できないもので、いい意味で後頭部をぶん殴られました。これも「魔法」でしょうか。
オチを見終わった後の表紙と、よく見ると一巻の英語版タイトル「Witch dream would you buy?」と違う二巻の英訳タイトルもいい味出してます。せっかくだから、どんなタイトルかは最後まで読んでから確認してみてね!
中盤の魔法の「カラクリ」がどんどん明らかになっていく展開は、ゆるい「ごちうさ」リスペクトものかと思われた一巻冒頭からは想像もつきません。心理戦も含めた構成はまるで少年漫画のようで、どんどん引き込まれていきます。一巻を読んでいた1年前のわたしにタイムスリップしてこのことを言ったとして絶対に信じないでしょう。とはいえ、1巻を見返す限り、このオチは最初からほぼ決まっていたように読めます。うーん、よくできてんな。
「カネ」と「ユメ」の汽水域、「きらら」
さて、作中でもメタ発言があるので、この記事でもメタな話をしましょう。
二巻で終わったという事はおそらく人気が出なかったのだと思います。
人気が出なければ、商業漫画は続くことができませんし、
人気が出れば、人気が出なくなるまでシリーズは続く。
それが、商業漫画…いや、商業芸術、「コンテンツ」というものの宿命です。
が、しかし。二巻で終わる不人気さは、思わず引き込まれる、そんなスピード感をこの漫画に与えてくれました。
商業雑誌で連載される漫画という「商売」と、そこで展開される物語という「夢」の難しいバランス。
そのバランスの元かろうじて成り立つ「きらら」という漫画雑誌。
その連載作品たちが、先輩作品をリスペクトしながら、後輩作品へと派生・発展していく、「きらら」という文化。
その構造そのものが、「魔法の夢」と「ざんねん坂」が隣り合わせするこの島や、この漫画における「魔法」の在り様と、意図してか偶然か、見事に一致してるのも面白いです。
これは、まちがいなく怪作です。
前述したとおり二巻で終わってしまったので、きっと、万人受けするものでは無かったのでしょう。
でも、わたしには飛んでもなく突き刺さりました。
わたしもカトリネルエのように、「ホレンテ島に心を奪われ」てしまいました。
ホレンテ島の「魔法」のように、この漫画が断片となってこの世界から発散して人々から忘れ去られてしまっても、きっとわたしにとっては作中のセリフ通り、「きっとお婆ちゃんになっても忘れない」、そんな作品になるでしょう。
作中で回収しきれなかった伏線はいくつかありますが、それも、わたしの心の中でたまに「連載が続く」、そのための「魔法」なんですよ、きっとね。