■概要
ここにどこでもドアがあります.動作原理は
- 転送される人の分子やらなにやらの情報を転送元からコピーし,転送先へ
- 転送先で再現.ここで転送される人が2人居ることになります.
- 転送元の人はあんなことやこんなことにあって死にます.
以上シンプルなどこでもドアでした☆
で,転送される人は死んで,別の人が転送先に現れただけじゃないの?
■できれば読んでほしいアドレス
- <思考実験(4)>
- <思考実験(3) どこでもドア2>
- <思考実験(2) どこでもドア>
- <思考実験(1) 双子のクローン赤ちゃん>
- <脳分割問題(3)>
- <脳分割問題(2)>
- <脳分割問題>
- ゾンビ問題
■考えたこと
このどこでもドアを通ったら死にます.ある意味では.
どこでもドアを通った人はまったく同じか・・・.
たしかに見分けはつかないでしょうが,「どこでもドアを通っている」事を知ってしまったら,ドラえもんのセリフのように
『キミに、ほんとうのキミのココロがあるかどうかなんて、
キミ以外にはまったく関係のない、どーでもいいことなんだ!』
社会も、両親も、友達も、恋人も、どんな親しい人間でさえ、
『のび太』という形式・記号が存在し、それが機能さえしていれば、
仮にキミのココロなんかなくなっていても、『そっくりな別人のココロ』に入れ替わっていても、
そんなことどーでもいいんだよ!
では・・・ないなぁ.やっぱり他人として見ちゃう気がします.
魂の存在は信じません†1が,うーん,違和感を感じる.
なんていうんですかねぇ.この感覚,やはり東洋人・日本人的感覚なんでしょうか.
たとえこの話の設定のように地獄の苦しみを味わうことなく,一瞬で死ねるとしても(※1)
・・・やっぱり私は使いたくないです.でも,忙しくなったら使うのかな・・・.
いや・・・でも,結局自分からしたら死んじゃいますものね.
赤の他人から見て生きていたとしても,自分が生きて弾幕を捌きたいし,ぱにぽにのDVDだって見たいw
他人から見ても同じ人間でも自分から見たら真っ赤な他人ですから,その赤の他人がネギま!の13巻を読んで萌えてたとしても自分はちっともうれしかぁない.
「自分」が何人居てもまあ確かにいいと思うんですよ.化学成分やら何やらを再現して,コピーをつくればいいと.
(自分がコンピュータマニア(か下手するとオタク)なのは多分明白ですが,だからそういう結論に至るんだと思います・・・.)
でも,「のびた(面倒なので以下A)」と「コピー ~ のびた(面倒なので以下B)」はコンピュータで言えば別々のメモリ上に展開した同じプログラムというか.
同じ機能を提供するので外部からすればどっちでもいいし,見分けをつける事は困難です.
(本当のコンピュータならプロセスIDがあるけどねw)
・・・うーん,いい言葉が思い浮かばない.
※1
スタートレックの転送装置はそれ.転送装置でもう一人の自分を出さねば第三者から見て「死ぬ」事になるため,そうすることによってスタートレックの世界では死刑に処するらしい.だから,死刑なのに痛くない.エンタープライズを眺めていたらそんな設定が.
でも,死刑の痛さが無いとあまり意味が無いような気が・・・.
- †1: ただし,スポ根漫画の「熱い魂」はあるかもなwwww